パッサウ市について
提携の由来と都市紹介
ドイツ連邦共和国バイエルン州パッサウ市 Passau
姉妹都市提携
昭和59年(1984年)4月8日
提携の由来
昭和47年(1972年)、秋田日独協会が発足し、ドイツとの交流が始まりました。開かれた国際人および国際都市秋田市を目指し、ヨーロッパ文化に触れる窓口としてドイツの都市と友好関係を結びたいという機運が市民の間で高まり、昭和59年(1984年)、姉妹都市提携に至りました。
概要
- ドイツ・バイエルン州の東部に位置する人口およそ5万人の都市です。
- 州都ミュンヘンから東約180キロメートル、オーストリアとの国境に接し、ドナウ川、イン川、イルツ川の合流点にあり、河川を利用した水運と鉄道の要衝です。
- このほかドナウ川左岸の丘陵には司教の居館オーバーハウス要塞(13~16世紀建設)が現存し、歴史博物館として市民に公開されています。
- 東京からパッサウまでは、ミュンヘンまたはフランクフルト空港を利用するのが一般的です。ミュンヘンへは羽田から、またフランクフルトへは羽田と成田からそれぞれ直行便が就航しています(所要どちらも約12時間程度)。
- パッサウから近いのはミュンヘン空港で、バスと列車を乗り継ぎます(所要:約2時間30分程度)。フランクフルト空港からは、直行の超特急列車ICEに乗り約4時間30分程度です。
- 秋田市とパッサウ市とでは8時間の時差があり、秋田市が午前9時のとき、パッサウ市は午前1時です。なお、ドイツでは夏時間を採用しているので、その期間は、秋田市が午前9時のとき、パッサウ市は午前2時です。
小史
- 三本の川、ドナウ川、イン川、イルツ川の合流点に位置するパッサウの歴史は、この自然の好立地条件に左右されました。
- 紀元前はケルト人の居住地ボヨドルム、ローマ時代にはバタビスといったローマの要塞があり、中世初期に古代バイエルン人がパッツァウエという町を造りました。
- 739年にパッサウは司教管区首都となりました。
- 司教ヴォルフガーは、12世紀に中高ドイツ語の「ニーベルンゲンの歌」を記録させたので、パッサウはそれ以後ニーベルンゲンの町とも呼ばれています。
- 1217年、領主司教国の首都となりました。司教国のなかでもパッサウは最大の領地を有する国でした。パッサウの大聖堂はウィーンの聖シュテファン大聖堂の本山にあたります。
- パッサウの領主司教時代はバイエルン選帝侯国に編入される1803年まで続きました。
- 宗教改革時代の1552年には、皇帝カール五世と新教徒諸侯の間に「パッサウ条約」が締結されるなど歴史的に重要な役割も果たしました。また、詩人で小説家のハンス・カロッサの町として知られています。
- 1889年、バロック美術研究者コルネリウス・グルリッツがパッサウの建築、美術作品を再発見して以来「バロック都市」とも言われています。
産業など
- 産業は、鋳物、歯車、光学機械などの小規模製造業および五つのビール工場などが主ですが、観光については、ドナウ川の観光客船を核として、ドイツ、オーストリア、ハンガリーなどの観光客が多数訪れています。
- 教会として世界最大のパイプオルガンがあるバロック様式の聖シュテファン教会は、イタリア風の内部装飾をもち、この教会を中心に関連宗教施設が町の中核を形成しています。今なお中世以来の面影を持つ古い街並みと豊かな文化的精神風土、さらには東欧諸国に近いという地理的条件を背景に、1952年以来「ヨーロッパ週間芸術祭」が開かれ、観光都市として発展してきました。
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